2009年12月18日金曜日

冥土のみやげに3D


 いまは3Dというのだそうだ。立体映画だろう? 昔はステレオと呼んだ。だが、ジェームズ・キャメロン監督の新しい映画「アバター」の3Dぶりが凄いらしい。システムから開発して12年もかかったのだと。NHKの「クローズアップ現代」がとりあげた。

 3Dカメラはスタジオに置いてあった。まだ市販されているはずはないから、キャメロンが使ったものに違いない。しかし見せてくれたのは、2本のレンズの間隔が人間の目と同じ6.5cmだということと、そのレンズが近接のときは真ん中に寄って動く、というだけだった。

 これは「ロボット工学」の応用なのだそうだが、かなり人間の目に近い画像が撮れるだろうなということはわかる。あとは、そのレンズの焦点距離と撮像画面の大きさだ。これも重要なポイントなのだが、そうした説明は一切なく、ことによると企業秘密なのかもしれない。

 映画なのだから、どうやって見るかも大問題だ。かつての立体映画は、二重に映し出された映像を、左右色の違う、あるいは偏光のメガネをかけて左 右の目が別々に映像を読み取る方法だった。しかし、キャメロン方式は全く違うらしい。以下、NHKの説明通りにいうと、こんなことになる。

 メガネの技術は、米航空宇宙局(NASA)が、火星の表面の凹凸などを見るために開発した技術で、右目用と左目用の画像を交互に出てくるように し、スクリーンからの信号を受けたメガネが、シャッターのように左右交互に見えるようにしたのだという。イラストは出たが、それ以上の説明はない。

 ただ、パナソニックが来年売り出す3Dテレビというのも、この技術なのだそうで、こちらは、左右別の画像を毎秒120コマ、交互にブルーレイに 書き込み、同様なメガネで見るのだという。もともとパナソニックは、キャメロンの情報からスタートしたというのだから、同じものに違いない。にしても、毎 秒120コマ? そんなことができるのかよ。

 120というのは交流の山と谷の数だから、電気屋さんならわかるのかもしれないが、門外漢はただただ「ハアー?」というばかりである。
 
 ステレオ写真でも、問題は3つあった。ひとつはレンズの焦点距離の選び方で、往々にして人間の目の立体感覚とはズレがあった。要するに立体感が 極端なのだ。次が、どうやって見るか。裸眼で見えるのは小さな画面に限られるから、専用ルーペなどのお世話にならないといけない。面倒である。

 そしてもうひとつ、「出っ張った、引っ込んだ」を面白がるあまり、写真としてはろくなものがなかった。これは、初期の立体映画にもあてはまる。やたら観客に向かってモノが飛んできて、観客が一斉に「ウワーッ」とよけたりして、要するにゲテモノの域を抜け出せなかった。

 これらのステレオ条件は、写真でも映画でもずっとつきまとうはずである。 しかし、どうやらキャメロンは一番目と二番目の条件をクリアしたらしい。つまり、かなり自然な立体像の再現とディスプレイの方法が得られた。となると、残るは映画として面白いかどうかだ。

 テレビのCMで見るかぎり、「アバター」というのはとんでもない荒唐無稽なお話らしいが、ここに「時代」という追い風が加わっているようにみえる。

 「スターウォーズ」以来、荒唐無稽には慣れっこである。おまけにCGの技術は「何でもあり」で、普通の映画「三丁目の夕陽」でも使われたし、SFや天変地異ものからゲームにいたるまであふれかえっている。

 キャメロンは「タイタニック」で当時最先端のCGを駆使した男だ。NHKの映像でも、CGのために3Dで俳優の顔を撮っている場面が出てきた。CGに3Dの実在感が加わったらどんなことになるか。

 ステレオ写真の本当の値打ちも、実は立体感よりも実在感なのである。人間の目に近い焦点距離のレンズを使った中判写真のステレオで、凹凸の少ない平板なポートレートなどを撮ったときによくわかる。

 「確かにそこにある」という存在感は、一枚写真をくずかごに放り込みたくなるくらいの違いをもっている。ただ、ステレオ愛好者は普通そういう撮り方はしないし、またアートする人たちはステレオなんか撮らないから、ゲテモノのもつ隠れた力を、ともに知らないだけなのだ。

 だから、NHKの番組でいちばん衝撃的だったのは、一見メイクビデオみたいなこの場面だった。演ずる俳優の顔にいくつものドットがついていて、それをもとに自然な表情がCGで出せるのだという説明だった。CGが作り出すのは、俳優とは似ても似つかない怪物なのである。

 正直「物語なんかどうでもいい。あがりを見たい」と思った。しかし、こればかりは映画館へいかないと見られない。最後に映画館へいったのは、「アマデウス」だったか。だとすると何たること、もう四半世紀に近い。

 NHKによると、今度の冬のオリンピックもサッカーのワールドカップも、3Dで撮影はされるのだそうだ。しかしそれを見るシステムはまだない。 デジタルテレビですらまだなのに、3Dテレビが見られるまで、この身がもつかどうか。ここはひとつ、冥土のみやげにのぞいて見ずばなるまい。

2009年12月14日月曜日

宮内庁の分際


 きのうの新聞をみて驚いた。近く訪日する中国の副主席が天 皇と会見するという話で、民主党政権がルールを守らなかったというので、宮内庁長官が記者会見で文句をいった。それだけでも驚きなのに、朝日がまた、1面 トップと2面の「ひと欄」以外の全面を使って、政府を非難する騒ぎ。

 要するに天皇の会見をセットするには、ご健康を慮って、「1ヶ月前までに申し込む」というルールがある。今回はこれより短かかったので、宮内庁は断ったが、鳩山首相の意を受けた官房長官らの度重なる要請に、節を曲げたというのだ。

 羽毛田長官の言い分は、こうだ。象徴天皇である以上、国の大小、政治的重要性で差をつけるべきではないし、天皇を政治に巻き込むことにもなる。相手が中国だからといって、ルールを破ってもらっては困ると。一見ごもっともではある。

 しかし、どうもことの軽重をわかっていないようだ。「象徴天皇」といってみたところで、外国の目からは天皇は依然として「元首」なのである。そ の天皇に会えるか会えないかは、ときにきわめて政治的な意味合いをもつ。国の大小や時の流れと全く無関係でいられるものではあるまい。

 中国でいえば、胡錦濤主席がまだ副主席だったとき、天皇に会見している。その後継者として最有力の副主席が、わけのわからない「1ヶ月ルール」で断られたとなると、関係者はそれこそ要らぬ気配りをしなくてはならない。

 そもそも「1ヶ月」というのは便利にすぎまい。28日前では?となったときに、機械的にNOという口実。自分で勝手に決めたルールに自分で縛ら れているようなものだ。これがもし、天皇のスケジュールと健康状態から割り出された答えならば、どんな国でも文句も不満もいわないだろう。

 今回、結果として会見は実現可能だった。となれば、そもそもの始めからきちんと対応していれば、こんな騒ぎにもなることもなかったろう。それを ぎりぎりになって決めさせられたからといって、「現憲法下の陛下の役割」「天皇の政治利用の懸念」まで持ち出すのは、いささかお門違いであろう。

 ところが、新聞各紙がこぞってこれを後押ししているのだから、おそれいってしまう。要は「ルールがあるのだから守れ」「政治利用への懸念」と、 長官発言をなぞっている。天皇の政治利用なんて、誰に会わせるかを内閣や外務省が決めているのだから、現実には日常的に行われていることではないか。

 なぜこんな覚めたことをいうかというと、このところの宮内庁にはしばしば、首を傾げているからだ。かつて後継の男児がいないと話題になったと き、当時の長官(前任)が、「私どもとしては、もうひとりくらい欲しい」というのを聞いて、本当にびっくりした。テレビの前で思わず、「お前、何者だよ」 と。雅子さまのご病気を悪くしているのは、「お前たちじゃないか」

 宮内庁長官は、役人である。旧内務省系の事務次官や警視総監が就くのが慣例で、現長官も厚労相次官からだ。格からいえば天下りならぬ天あがりかもしれないが、慣例が一種の権力をもったようにみえる。認証官だから勝手に首も切れない。

 羽毛田長官は昨年も、皇太子一家が参内することが少ないと発言して、物議をかもした。こうしたとき驚くのは、聞いている記者たちが一向に異を唱えないことだ。そんな風だからこんな役人ができてしまうのだと思うのだが、今回は大応援団になってしまった。

 この話を、その筋の出の方にお話したところ、言下に「家令ですな」といった。皇族や公家で一家の会計や諸事万端をきりもりする役職で、多くは世襲。当主の学問、趣味、交遊から婚姻関係にまで口を出すのは当たり前だと。

 しかし、平安の御代ならいざ知らず、このご時世に皇太子や秋篠宮をつかまえて、「もうひとり子どもを作れ」とはなんともはや。それも役人の分際 で、である。羽毛田長官は、愛子さまの皇位継承に前向きの人なのだそうだが、人が代わると見解も変わるのでは、「家令」の役すら果たしていないことにな る。

 今回は政府の対応もおかしなものだった。副主席の天皇会見の要望は早くから伝えられていたが、訪日の日程がぎりぎりまで決まらなかったという話である。差し迫ってからでも、内閣の一存でいけると高をくくっていたのかもしれない。

 しかしこの騒ぎで中国にも他の国にも、日本の象徴天皇制がややこしいものだということは伝わったことだろう。

 それよりも、「家令」といった方の話は、天皇家が権威を保ち続けた秘密に及んだ。なんと忍者の力によるのだとか、その里は和歌山の根来衆だの、山伏もそうだとか、めっぽう面白かったのだが、これはまた機会があれば‥‥。