2010年8月30日月曜日

お前らただのご用聞きか



 だんだん腹が立ってきた。むろん民主党の代表選のことだが、当の民主党員たちの動きよりも、それを伝えるメディアに対してである。「お前らいったい何なんだ。ただのご用聞きか。頭と口はないのか」

 鳩山が、小沢を支持するのは「大義だ」といった。「わたしが小沢さんを民主党に入れたのだから」と。さらにモスクワでは、「わたしを総理にしてくれた恩義に応えるんだ」といったそうだ。言葉がそのまま記事になっている。記者たちは質問をしなかったらしい。

 「そんな個人的な話を持ち込むときか」「政権党の責任は? 日本の明日を考えるべき立場だろうに」「小沢が代表になったら、民主党そのものが沈没するとは考えないのか」

 もし、これらの質問をして答えさせていたら、答えがどうあれ記事はふたまわりくらい大きくなっていただろう。読者が知りたいのはその答えなのだから。それを聞きもしない記者とは何なのだ? 読者の後ろを走っている新聞なんかいらない。

 とにかくこうした話ばかりである。昨年選挙で勝ったあと、小沢が「チルドレン」を集めていいもいったり、「君らの仕事は次の選挙で当選することだ」と。これもそのまま記事になった。

 議員の本音であることはだれでも知っている。が、堂々と口にするとは、どういう神経だ。「そんな議員いらない」「4年間国の金をいただいて、その間選挙運動やれだぁ?」と思った有権者は多かったはず。なのになぜ、記者たちはその場でバシッと書かないのか。

 小沢は選挙に強いという神話がある。しかしその実態は、自民伝統の「ドブ板選挙」である。新人議員にひとりづつ小沢の秘書がついた。いったい何人いたのか。その費用は? 新人たちは「小沢先生が」と思ってるかもしれないが、全部民主党の金のはずだ。それを「小沢チルドレン」などとはやし立てたのはだれなんだ。

 そもそもチルドレンといっても、中には行政経験豊富な首長もいる。特定の問題で深い活動してきた人もいる。役人と戦ってきた人もいる。行政実務ではたった一度、半年間の自治大臣だけ(あと政務次官を2度)という小沢より、実態を深く知っている人は多いのではないか。それを国政は初めて、というだけで、「辻立ち」最優先だと? 事業仕分けで、実体験をもとに鋭い切り込みでも見せたら、その方がよほどいい選挙効果を生んだだろうに。

 先の軽井沢でのパフォーマンスに出たのは160人だった。「気合いだぁ」とわめいたお調子者までいたが、鳩山・小沢派の総数からいうと、20人くらいは出ていない。骨のあるチルドレンもいるということだろう。

 話を戻すと、記者たちの鈍感には、どうやら理由がある。記者会見の様子をみると、会見ではまずICレコーダーで録音をしておいて、発言はメモをとる代わりにパソコンで打っているようだ。たいしたもんである。キーパンチャーの役割までこなしているのだから。

 もともとメモだって、なかなかとりきれるものではない。小沢とか安倍晋三みたいに、ひと言発するごとに「アー」「エー」とやってくれると、大いに助かるのだが、頭のいいヤツにすらすらやられると結構苦労する。

 しかしメモをとりながら、「これは見出しになるな」「これはニュースじゃない」「ここは要約して」「あれと関連するな」と、すでに記事を書き始めているものだ。だから終わったとたんに、メモのポイントだけを頼りに組み立てられるのである。(森喜朗みたいに、最後まで見出しがみつからないなんてのがいちばん困る。彼の場合、いちばんのニュースは失言だった)

 ところが、パソコンだとメモより早いらしい。「その全文を送ってくるのがいるんだ」と嘆いていたデスクがいた。つまりはご用聞き。内容を判断していないということだ。それでは、言葉尻をつかまえて丁々発止なんて望むべくもない。なめられるわけである。

 これは必ずしも政治ニュースに限らない。警察ダネも含めて、このところ取材する側、される側の力関係がおかしいと感ずるのは、結局記者の側がまいたタネ、ということのようだ。

 調査報道では結構いいものが出てはいる。目のいい記者も少なくない。しかし瞬発力を欠いたら、半分手に入っているニュースですら逃がしかねない。とくにいまはテレビやネットの中継がそのまま流れることが多いから、取材のアナまでが見えてしまう。

 「なんでそこを突っ込まないんだ」と思われたらお終いだ。そのあと、どんな立派な記事を書いたって、だれも読んじゃくれまい。取材過程がさらされるのは、厳しいものなのである。記者たちがこれをどれだけ自覚しているか。

 今回新聞論調は概ね「小沢に大義名分はない」「筋が通らない」といいながら、分裂の危機だの政界再編だの、と先読みに忙しい。ところがここへきて、菅首相は再選後は挙党一致に、なんていい出した。小沢の動きはかけひきだったのか。メディアはまたまた振り回されそうだ。

 そもそも最初にバシッとかましておかないからこうなる。「ご用聞き」は即ち傍観者。自分の国の政治だというのに、怒りが足らないのだ。だからこっちはますます熱くなる。それでなくてもくそ暑いのに、いい迷惑である。(文中軽重略)

2010年8月28日土曜日

どのツラ下げて代表選



 民主党の代表選にとうとう小沢一郎が出ることになった。「脱小沢」をやめろという鳩山の仲介を、菅が蹴っ飛ばしたのは痛快だったが、なぜ小沢が出るのか、なぜ鳩山が小沢支持になるのかがよくわからない。

 これで真っ先に思い出したのが、もう10年になるか、小泉純一郎が勝った自民党の総裁選である。もう忘れてしまったのか、テレビでもだれも触れないが、あれは実に奇妙な選挙だった。

 党員・党友だけの選挙なのに、一般有権者の視線に押されて、必ずしも意に沿わない小泉に票が集まったのだ。「ここで橋本龍太郎を選んだら、次の選挙で自民党は見放される」という強迫観念からだった。小泉の「自民党をぶっ潰す」というひと言が、流れを決めたのである。

 今回も状況は似ている。もし民主党員が小沢を選んだら、次の選挙で民主党は見放されるだろうーー現に町の声でも、これが少なくなかった。ところが、民主党員でもそう思わないのがいるらしい。まあ、菅には小泉のような厚かましさがない、というのはあろう。しかし、それ以上に「小沢の剛腕」、強いリーダーへの期待ばかりがいわれる。

 小沢派はもう「政治と金」なんてだれもいわない。一度は引退みたいなことをいっていた鳩山までが元気になった。かつての自民党でも、ここまで厚顔無恥ではなかった。さらに新聞、テレビまでが、「多少悪いことをしても力のある人が‥‥ということか」なんていいながら、票読みに懸命だ。

 おいおい、メディアはいったいどうなっちゃったんだ、と思っていたら、朝日新聞に歴代の小沢担当記者6人の座談会というのが載った。これを読んで、初めてわかった。「あ、時代が違うんだ」と。

 出馬表明の前日だったが、「出る」「出ない」と意見が分かれるなかで、「出るべきでない。1回休みというのがたしなみだ」「いや出るべきだ。議論してほしい」というのがあった。それぞれ理由はあるのだが、驚いたのは、小沢がトップに立ったときの危うさを、だれも疑っていないことだった。どころか、彼に期待しているようにすらみえる。

 記者たちが小沢を担当したのは、自自連立あたりからである。それより7、8年前の、小沢が自民党の実質ナンバー2だった頃を知らないのだ。いちばん年かさの記者でもまだ駆け出し、政治部員にはなっていない。

 古い世代にとっての小沢は、剛腕は即ち独断専行であり、「数の政治」の信奉者だから、選挙のためなら何でもあり。新聞記者が大嫌いで、そのくせ NYTだのW・ポストにはホイホイと会う。「自国の記者が嫌いな政治家なんて信用できるか」。これだけでも、小沢を好きな記者はいなかったはずである。

 実質ナンバー2でありながら、首相にという声が高まらなかったのも、身辺が身ぎれいでなかったからだ。健康上の問題もあった。これでよく海外へ診療に出た。出先支局ではパパラッチを雇って彼の追跡をしたが、とうとうしっぽを出さなかった。雲隠れが得意なやつを、信用しろというのは無理だ。

 自民を飛び出したあと唱えた「2大政党論」は、論理としては矛盾している。選挙制度をいじる(小選挙区制)のは本末転倒なのだが、これが通ってしまう。しかし結果は、小党を作っては壊しの10年。描いていたのは、もうひとつの自民党を作ることだった。

 政治手法にしても、政治資金集めから選挙のやり方まで、自民党時代そのまま。新聞には「一致団結箱弁当」なんて懐かしい言葉も出てきた。自民党が箱弁当でなくなって20年になるというのに。

 小沢のイメージで忘れられないのが、湾岸戦争だ。イラクがクウェートに侵攻した90年夏、小沢が突然「現行憲法でも自衛隊の海外派遣は可能」といい出し、秋の国会に「PKO法案」を出す。寝耳に水だった。自民党内も野党も国民も、意見がまっぷたつになった。「そんな重大問題まで、選挙で付託した覚えはないぞ」と大論争になり、法案は結局廃案になった。

 実は、小沢がいい出す直前、駐日米大使のアマコストが小沢を訪ねて、自衛隊の派遣を打診していたのだった。これに、海部首相を差し置いてホイホイと応える幹事長とは何なのか。

 この1年間をみれば、彼の権力感覚が、20年経っても変わっていないことは明らかだ。鳩山政権の節目で起こったぎくしゃくの数々‥‥事業仕分け要員の引き上げ、政策調査会の廃止と幹事長への権限集中、高速道路整備の圧力、暫定税率廃止見送り、蔵相辞任も?‥‥大勢でゾロゾロと官邸へ押しかけたこともあった。

 小沢の行動基準はただひとつ、票になるかならないか。いってみれば、これで足を引っ張り続けていたのである。しかし、鳩山は文句もいわず、政治と金についてもみな沈黙した。泣く子と地頭には‥‥とはこのことだろう。だが、今回は正真正銘の首相を選ぶ選挙だ。そんな下世話な基準で選ばれては困る。

 しょせん小沢は政局の人であって、政策の人ではない。いさめる人は遠ざけるから、有能な人材は去っていくばかり。党内最大グループといっても、小沢チルドレンをのぞけば少数派、しかもろくなのがいない。要するに、人を育て組織を築きあげるリーダーの器ではないのだ。

 風を読む能力には長けているとされる。今回の読みは確かなのか。鳩山は、小沢支持を「大義だ」といった。自分が民主党に引き入れたからだと。そんな大昔のことで、現に動いている政権の明日を決めるのか。もし小沢が勝ったらどうなるか、百も承知だろうに。困った人たちである。  (文中敬称略)

2010年8月21日土曜日

懲りない男の懲りない笑顔



 まあ、長いこと見せたことのない笑顔で、小沢一郎が上機嫌だった。19日、鳩山前首相の軽井沢の別荘で開かれた懇親会だ。なにしろ、100人くらいとみられていた出席が160人だったから、小沢・鳩山支持派の大半が出たということ。代表選を左右できると、ほくそ笑んだか。

 これに舞い上がったか鳩山先生、「小沢一郎先生にわが家までお出ましいただき」とやったから、これにはびっくりした。「お出まし」というのは、皇族にしか使わない言葉ではなかったか? 小沢もとうとう天皇になったか。

 聞くところによると、小沢ははじめ出席を渋っていたらしい。そりゃそうだ。先の両院議員総会もそうだったが、どのツラ下げて、という状況は変わっちゃいない。それが、数が揃うと見たのだろう。この辺りの見切りはたいしたものである。

 符合するように、取り巻きの茶坊主どもからしきりに「小沢出馬」がいわれている。菅代表への圧力であると同時に、いちはやく「菅支持」を表明した鳩山への圧力でもある。小沢チルドレンの1人は懇親会のあと、「鳩山さんには、菅支持を取り消してもらいたい」と、まことにストレートだった。

 テレビ朝日の三反園訓は、「小沢さんが出る確立は3割」といっていた。「負けたら政治生命も終わるから、絶対に勝てる状況でないと出ない」というのだが、たとえ3割でも、その読みがあるというのは驚くべきことだ。

 これについて21日朝のテレビ番組で、渡部“黄門さま”がさらに驚くべきことをいった。小沢が急に出馬に動いているのは、検察に起訴されないため。首相になれば‥‥ということなのだと。

 “黄門さま”はまた、「多少悪いことをしていても、力のある人が‥‥という声があるのが悲しい」といっていた。これに、菅体制になれば干される小沢グループの思惑がからむ。とりあえずは、人事で小沢派を排除するな、だろうが、小沢本人が出てくるとなると、話は全く違ったものになる。

 もし小沢が代表になるようだったら、いまはまだ残っている民主党への支持そのものが瓦解するだろう。しかし、それよりも自分の起訴を逃れる方が重要というのか。そんな政治家は要らない。

 軽井沢の騒ぎを伝える朝日新聞のオピニオン面に、山田紳のマンガが出ていた。これには笑った。満身創痍の小沢親分が、菅とおぼしき子分にいさめられている図である。いまの状況にはこちらの方がぴったりだ。しかし、軽井沢の小沢親分は満面の笑みだった。

 この落差の可笑しさを、有権者はわかっている。野党だってわかってる。では民主党は? 少なくとも3割はわかってない?というのが、何ともかんとも。そしてメディアだ。わかっているはずなのに、相変わらず騒ぎを追い続けていて、“黄門さま”までが、「メディアのみなさん、どうして小沢党になっちゃったのかな」というほどなのだ。

 民主党の代表選は、首相を選ぶ選挙だ。これに満身創痍の小沢が出ることが、日本の政治にとって、国民生活にとってどうなのか。ああだこうだはいうのだが、もうあなたの時代じゃない、とまで踏み込むものはない。やっぱり、何割かは小沢がいいと思っている? そんな新聞要らねえよ。(文中敬称略)