2011年4月27日水曜日

アラセブンのカベ


 流行語「アラフォー」の伝でいうと、わたしの世代は「アラセブン」か。この歳になると、高校の同級生なんて滅多に顔を合わせることがない。しばらく音信がないと、「あいつ死んじゃったんじゃないか」が関の山。今回の顔合わせも通夜の席だった。

 故人は75歳だった。「あいつ年上だったんだな」「病気で休学してたんだよ」。一緒に山を登っていた仲間だが、夫婦で薬剤師で奥さんが薬局、本人は特定郵便局長で、有名ゴルフ場の地主だったから、ゴルフ三昧の健康な男だった。それが突然脳梗塞だとなると、みな心配になる。

 あらためて互いの音信をどうするか、なんて話になると、決まって出てくるのが、「メールやってるか」である。ここでたちまち二手に分かれてしまう。この時は4人だったが、見事に2対2。意外や、いちばんやっていそうなヤツが「ダメなんだよー」。

 キーボードがダメらしい。「しょーがねぇなぁ」。本人にその気がないと、教えようもない。それが年齢というもの。

 では携帯電話は、となると、これもまた「要らない」「持たない」というのが少なくない。今回も1人いたが、彼には理があった。定年になって会社とも縁が切れて悠々自適だから、自宅にパソコン(PC)も電話もあるし、出先には公衆電話がある。それ以上何が必要だと‥‥その通りである。

 わたしも長年携帯はもっていたが、外の仕事がなくなってみると、月に1、2回かかってくればいい方で、メールなんか全然だ。それでも基本料で月に4000なんぼだった。まさにばかげてる。

 あらためて、こんなもの要らないなと思ったときに、iPhoneに出くわしたのだった。これはもう、電話というよりPCで、わたしにはカメラの優秀さも値打ちだった。支払いは1000円ばかり高くなったが、むしろそれ以上の働きをしている。

 以前にも書いたが、この携帯がいまや、本人確認の認証に使われている。昔なら米穀通帳、運転免許証、保険証が、いまは携帯なのだ。前出の友人を mixiに誘ったら、携帯がないとダメだといわれた。文句をいったら、mixiは「携帯1本に決めたから」と、がんとして認めなかった。おかげで友人は、 PCがあるのにmixiに入れないという本末転倒。

 では、年寄りはますます世間の動きから締め出されるのか。今回の大震災や福島原発の情報だって、80%はテレビから得ているという調査があった。きわどい情報を意図的に流すという点では、ネットが無類の強さをもっているのはたしかだが、老人にはもともとそんなもの要らないのである。

 先のアラブでの反政府デモでは、facebookやtwitterが大きな役割を果たしたと伝えられたが、怪しいもんだ。きっかけにはなっただろうが、大衆はみな、アルジャジーラやアルアラビーヤのテレビ情報をもとに動いたはず。日本ですら、年寄りの半分以上はやらないPCを、アラブの連中がやってるはずがない。

 話を戻して、年寄り同士がそれとなく消息を伝える、知る上でいちばんいい方法はなにか。わたしの結論は、mixiやfacebookなど、いわゆるソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)である。むろん、PCあるいは携帯が条件になる。

 この良さは、友達が書いたものを読んでいるだけで、少なくともそいつが日々何をしているかがわかることだ。発信する方は書きっぱなしでいい。反応があればよし、なくてもかまわない。外部との接触が少なくなっていく老人には、どこかでつながっているという安心感が値打ちである。先の友人をmixi に誘ったのもそのためだった。

 だが「アラセブン」にはまた、SNSへの一種の拒絶反応みたいなものがあるらしい。大学の山登り仲間がそれで、得体の知れないおしゃべりサイトなんか、という警戒心なのかもしれない。みなPCもメールもやっていながら、いまひとつ踏ん切りが悪い。

 同じSNSでもfacebookは実名だから、自ずと目的も機能も違う(実はまだよくわからない)。しかしmixiは匿名も可能だし、設定によっては特定の閉じた(排他的な)グループもつくれる。仲間だけの気のおけないチャットや情報交換、写真の掲示も可能なのである。

 しかしわが「アラセブン」は、これにほとんど興味を示さない。何人かがわたしとつながっているが、互いに友達になろうともしない。1人2人が時折わたしのごたくに書き込みをくれるくらいである。

 そのくせ、記念写真をわざわざプリントして送ってくれたり、メールをccで知らせてくれたりもする。写真を自分のアルバムにアップし、日記に書き込みさえすれば、即座に伝わるのにと思うのだが‥‥。

 わたしにしても、見ず知らずの人の書き込みをのぞく気にはなれないし、アプリなんて遊びをするヒマもない。なにしろ老い先短いんだから。しかしSNSは、その残り少ない時間をうまく生かしてくれる「便利」。机に座ったまま遠くが見える窓なのである。

 わたしのmixi仲間には、「あと30年は生きる」と豪語している元気印の「アラエイト」もいる。「アラセブン」程度で年寄りになってしまうんでは情けない。もっとも、いつコロリといくか、こればかりはだれにもわかりませんがね。はは!

2011年4月22日金曜日

いささか鈍感すぎないか?


 テレ朝の「モーニングバード」が、福島第1原発の作業員の様子を写した写真を流した。同原発の産業医である谷川武・愛媛大大学院教授が提供したもので、作業員たちの過酷な実態を見せつけた。

 作業員の様子は、これまで一部報道で「日に2食」などと断片的に伝えられたが、突っ込みが足らず詳細は不明のままだった。ところがこの写真には、広い板敷きに敷物を敷いて、防護服を着たまま休憩する姿が写っていた。まるで被災地の避難所そのままである。

 寝る時も防護服のままだといい、各人に寝袋があった。食事は日に2回から3回にはなったが、相変わらずレトルト食品、缶詰、カップ麺が主だという。別の写真では、机の上に食品が入った段ボールが並び、アップのカットでは「ナポリタン」「やきとり」などのラベルがみえる。防護服を脱いでもマスクをつけたままの姿もあった。ひどいものだ。

 谷川教授によると、当初、睡眠不足や脱水症状で、多くの作業員が倒れたそうだ。教授はカメラの前で「いまの態勢のまま維持するのは困難だ。これから気をつけないといけないのは、慢性的なストレスです。あのような作業の中では風呂は必需品です。早急に仮設の風呂を作るべきだと思います」と話した。

 ん? 風呂だけの問題じゃないだろう。ところがその先は映像がなく、ナレーションだけ。教授はさらに「作業員が十分な休養がとれるように、東電の本社はちゃんと支援すべきです」といっていたと。

 コメンテーターの東ちづるが、「作業員を特攻隊や決死隊にしちゃいけませんよ」といっていた。これが真っ当というものだ。ところが番組は、「しかし、現場はそうはいかないと」といって終わってしまった。どうやら、取材者は自分がつかんだネタの意味がわかっていなかったらしい。

 作業員の雇用そのものが、いかに被曝と引き換えだとはいえ、福島第1原発の今後は彼らにかかっている。先に出した「収束の工程表」を守れるかどうかも、実際に作業をする彼ら次第である。その労働条件を劣悪なままにしている。これがわからない。

 外部に宿舎を確保して、人員と食料のピストン輸送をすればすむことだ。そんな費用は、何百人とかかえる天下りの給料からみたら、微々たるものだろうに。とてもまともな企業のやることとは思えない。

 作業員が線量計をつけているのは、放射線量を積算するためだ。それが年間被曝量に達したら、もうその作業員は、汚染地域には入れない。だから次から次と新しい作業員を確保しないといけない。「工程表」では向こう9ヶ月、先にいくほど放射線量の多い作業になるはずだ。おまけに、その工程表自体がきわめて怪しい。

 18日に公表されたロボットの映像で、これからの作業が容易ならざるものであることがわかった。なかで気になったのが、3号機だ。ロボットが入った反対側の入り口の扉が爆発で開いたままになっていることがわかった。この入り口は車が入れる大きさで、外光が見えていたから、外からでも開いていることは見えたはずだ。それが今回初めてわかったと。

 これまで建物の破れ目からのぞき込むことすらしていなかったということだ。こうした疑いは、当初からあった。最初に3、4号機の状況を撮った写真は、離れたところから恐る恐る撮ったような絵だった。覚えていよう。これらに近寄った最初の映像は、放水した東京消防庁が撮ったものだった。

 このとき抱いたイメージは、離れた安全なところにこもって、防護服の作業員に指示を出している幹部の姿である。しかし、その指示の中身が見えてこない。2号機地下の高濃度汚染水の存在は、作業員が被曝して初めてわかった。彼らは何をしていたのか。

 1ヶ月たって、津波による被害状況が発表された。しかしそんなものは、多人数で分担して調べれば、翌日にでもわかったことではないのか。なにしろ、常時何百人という作業員がいる。彼らが毎日何をしているのかが見えない。

 かくもおぼつかない現状把握をもとに作られた「工程表」とは何なのか? まして、実働部隊である作業員への「支援が不十分」と産業医がいっている状態だ。もし使い捨てのつもりだとしたら、新たな補充にいずれ行き詰まるだろう。

 いま彼らがどこにいるのかは、テレビでははっきりしなかった。しかし、産業医のデスクらしいものが写っている写真もあったから、おそらくは「耐震棟」といわれる建物である。作業の指揮をとっている東電やメーカーのスタッフもいるはずだ。彼らもまた、防護服をつけ、レトルト食品を食べ、風呂にも入らず働いているのだろうか。そうではあるまい。

 こうした事情は一切公表されていない。国会での論議にもなっていない。東電が出してくるデータをはいはいと受け取るだけに見える。政府もメデォアもいささか鈍感すぎないか。

 谷川教授の話は、東電がもっとも知られたくなかった事柄のひとつだろう。テレ朝の目のつけどころはよかった。だが、教授は産業医をはずされるかもしれない。東電ならやりかねない。

 だからこの件は、なおフォローし続ける必要がある。それが、原発全体の先行き、ひいてはわれわれの明日に関わるからである。

2011年4月18日月曜日

放射能が隠れ蓑?


 高校の山登り仲間が亡くなって、習志野での通夜の席に同級生4人が顔を合わせた。みな同い年だから、元気だったのが先に逝ったら本来意気があがらないところだが、中の1人が東電のOBだったことから、お清めの席だというのに、例の話で盛り上がってしまった。

 この男は理工系で、東電では安全担当だったというのだから、話の核心である。ところが、彼にいわせると「安全の問題でいろいろ提言しても、まったく聞き入れてもらえなかった」というのだ。理詰めの論議が通らない、経営や原発のイメージを守るといった、まったく別の論理で原発は動いていたのだという。

 さすがに詳しいことは話さなかったが、「放射能がもれなくてよかったねぇ」という危ない綱渡りはいくつもあったという。東電はこれらを、鉄壁の秘密保持で切り抜けてきた。今回はじめて、その実情が見えてきたというのも、考えてみれば驚くべきことである。

 最新の技術の上に作られていながら、とてつもない数の手作業がそれを支えていた。労働力の大半は立地した地元の人たちで、雇用と安全との一種のバーターである。しかし、その労働実態は外には出さない。防護服と線量計に守られた何百人もの姿なんて、出せるわけもない。

 メディアもまた、東電のシナリオで動いていた。出てくるのは、理論と設計図と原子炉の仕組みと何重もの安全措置、だから安全だという結論と経済効果だけ。安全措置を支えるのが人海戦術であったというのが、すっぽりと抜け落ちていたのである。

 今回これをぶち破ったのは津波だった。安全基準がどうこういったところで、千年に一度の大津波を想定できなくてもある意味仕方があるまい。ここまでは天災だった。問題はそのあとだ。津波で原発全体がどうなったか、それを把握した上で、真っ先にやるべきことは何か。この判断を誤ったのである。

 なによりも東電の秘密主義があった。原発が壊れたらどうなるか、の安全判断よりも、他の論理が優先したのだ。科学的な事実、理詰めが必要なときに、長年の経営志向から抜けきれなかったトップの責任は重い。

 しかも秘密主義は、事故が起こってからも続いた。少しづつ小出しにされる事実にメディアも国民も、また各国の専門家、政治家もいらだった。サルコジ大統領がなぜ飛んできたのか。フランスの政治的思惑はともかく、東電をコントロールできない、日本政府に対する不信の表明は明らかだ。

 米軍は、最初の爆発事故の3日後には、無人偵察機「グローバルホーク」を原発上空に飛ばした。これがいまのところ、壊れた建屋の様子を間近に知る唯一のデータである。日本政府の要請ということになっているが、怪しいものだ。だれよりもアメリカが欲しいデータだったはずである。

 そもそも政府が出した「上空飛行禁止」がよくわからない。高度1000mでもだめなのか? 2000mでは? 「30キロ以内撮影禁止」なんて、メディアがなぜおとなしく従っているのかもわからない。防護服を着ればすむことではないか。原発の敷地内でだって撮れるはずだ。秘密主義はいまもって生きている。

 津波直後の福島第1、第2の映像・写真が10日、新聞.テレビに出た。「ああ、これでは」と、ひと目で被害のひどさがわかる。しかし発表が津波からひと月後である。これをもし直後に公表していたら、世界中が戦慄したはず。その後の専門家の論議も大きく違っただろう。

 しかし、東電も原子力安全・保安院も、爆発の被害や汚染、放水の話ばかりを流し続けた。あたかも原発全体は正常であるかのように‥‥メディアも概して全体像には無頓着だった。ここがもっとも肝心なところだ。

 写真と同時に被害状況も発表されたが、こちらはひょっとして、1ヶ月たってやっと把握したのではないのか。何百人という作業員の作業の実態は依然わからないままだ。が、メディアは相変わらず結果(発表)だけだ。

 ひと月の区切りに、新聞・テレビがまとめをいろいろ出した。ポイントは2つ。東電の秘密主義と官邸の機能不全だ。ことの始まりでは東電が、その後は菅首相の指揮官としての能力だという。首相にこうした評価が出ること自体、情報というものの意味と扱いをわかっていない証拠だ。

 そして、話はやっぱりメディアに戻る。作家の赤川次郎が、「原発報道は腰が引けている」と朝日新聞に書いていた。「新聞のコラムで、安全だという話を無批判に流したメディア、などと書いてあって呆れた」という。確かにメディアは、原発に関しては電力会社の手のひらに乗った孫悟空の感がある。

 それはいまも続く。「原発収束の工程表」の報道でも、「原子炉建屋にすっぽりと覆いを」なんて発表通りを伝えている。テレビでは、模型の原子炉に箱みたいなものをポイとかぶせて見せる。それがどんなに大変な工事か、しかも高い放射能の中である。「そんなものできるのかよ」という疑念がない。

 放射能という目に見えないカベがそうさせるのか。東電もまた、それをフルに利用してきたのではないのか。「まず、現場を踏め」という鉄則を怠ったツケは、どこかで払わないといけない。

2011年4月7日木曜日

写っちゃった映像


 車で逃げた人の多くが、渋滞のために津波に巻き込まれた、という記事がいろいろ出ている。津波では車で逃げてはいけないと。なにをいまごろ。津波の直後に流れたテレビ映像に、飲み込まれるシーンは沢山あった。そのときの印象は少し違うものだった。

 圧巻はNHKの映像だった。ヘリが仙台空港を飛び立ってすぐだったのか、名取市を襲った津波の先端をつかまえた。あたりは一面平坦な畑である。土や芥を巻き込んで真っ黒になった津波の先端が、生き物のように広がって行く。きれいに整った畑を、ビニールハウスを、家々を、車を飲み込んでいく。

 何か燃えているがれきを抱え込んだまま。海から運んできた漁船が家と並んで流れていくという奇妙。そして、津波の先端は、まだそれと知らずに道路を走っている車を何台も飲み込んだ。その先の道路には、まだ走っている車が沢山いた‥‥。

 ところがカメラマンには、最大のドラマが見えていなかった。広い画面の右端の遠くに写っていたのだが、カメラは左の方へ、津波の本流の渦へと向かってしまう。おいおい、あの車を見せろ‥‥。

 多分、同じカメラだろうが、この少し後で、迫り来る津波を見たドライバーが争って農道へ逃げる場面があった。しかし農道は狭い。最後の一台は立往生したまま飲み込まれた。これも画面の隅っこだった。

 カメラは気づかずに津波の舌の先を追う。と、農道の先が行き止まりで、先行した4、5台が立往生していた。後ろから津波が迫る。あわや、というときに、映像は切れてしまった。これも見えていなかったのだ。もしズームアップしていたら、「100年に一度」の絵になっただろう。最初に飲み込まれた車だって、そうだ。

 災害や事件の現場映像で、しばしばお目にかかるドジである。しかし広い画面には何でも「写っちゃっている」ために、放送を見ている方が「アーッ」という。どんなときでも必ずある。テレビカメラのファインダーではよく見えないのかもしれない。しかし、走っている車には人が乗っているーー何より肝心な視点が欠落していたのである。

 中継映像は同時に東京も見ていたはずだ。もしデスクが「流されていく車を追え」といっていたら、悲惨な光景になったか、高台にうちあげられて助かったかーー事実、多くの人が奇跡的に助かっている。だが、その現場映像というのはひとつもなかった。

 むろんこちらはただの視聴者だから、見ている映像は断片(しかも画面の隅の方)にすぎないが、それでも、車で走っている人たちの危うさは十分に読み取れた。むしろ、車の半分くらいは、津波のツの字も知らずにのんびり走っているように見えた。

 地震のあと、多くが家族のもとへ走る途中に巻き込まれた。しかし、ラジオも聞かず、音楽でも聞いていればそれっきりだ。かくて道路の上りも下りも同じように、おそらくいつものように車は走っていた。いったいどれほどの車が、そうして飲み込まれたことか。

 視聴者が撮った映像で、向こうから津波が迫ってくるなかを、逃げるように去っていく車があった。と、すれ違って津波の方へ行く車が一台。見ていて「アッ」と思った。運転手からは家並みの向こうの津波は見えていない。だが、これを流していた番組のキャスターが、これに触れることはなかった。これまた、全然見ていないのである。

 家が飲み込まれて行く光景はいたるところでとらえられていた。撮ったカメラマンたちは、あのなかにまだ人がいるかもしれないと思っていただろうか。かなりの人が逃げていなかったことは、行方不明の数字が示している。

 ヘリからの実況も相変わらずひどかった。おそらく、ヘリに乗るのは新米記者で、大方画面でわかることしかいわない。「画面を見ればわかるよ」と、これは毎度のことである。

 現場ルポは本来、画面に写っていないことをしゃべるもの、場合によっては、カメラに指図しないといけない。なにしろファインダーでは見えていないのだから。「ヘリの中継はこうやるんだ」というのを見せてやりたくなるというのも、思えば悲しいものである。

 あらためて、テレビは映像の力を十分に生かしているのか、といいたくなる。映像は命といいながら、単に時間つなぎ、ニュースやトークの場所映像、バックの賑やかしに費やしてはいないか。だから「写っちゃった」映像でもいいというのか。

 さらに感ずるのは、編集する側もまた、映像を見ていないことだ。現代の映像機器は、一昔前には思いも及ばなかった機能を満載している。逆にいえば、バカでも押せば写る機械でもある。

 そうして「写っちゃった映像」でも、結果は完璧で、実に沢山の中身をもっているものである。記者やカメラマンにはわからなくても、わかる視聴者は多いはず。だからこそ、今回のような未曾有の事態では、どんな断片でも貴重なのだ。そうした映像を粗雑に扱っているのを見ると、心底腹が立つ。

2011年4月2日土曜日

週刊誌に遅れをとった?


 読みたかった記事は週刊誌にあった。週間ダイヤモンド4月2日号が、福島原発事故での東電の初動の混乱ぶりを伝えていた。前の日記に「原発の顔が見えない」と書いたのだが、その理由もちゃんと書いてあった。

 津波で電源が失われ、冷却ができずに1号機の炉内圧力が高まったとき、水蒸気を逃がす(ベント)必要をいう現地責任者に対し、東京の本店は消極的だった。政府が現地と連絡をとろうとしても、本店経由でしかできない。菅首相が12日朝ヘリで福島へ飛んだのは、「ベントしろ」といいにいったのだという。ベントは行われたが、直後に水素爆発が起きた。

 14日に2号機で「空焚き」が起こったとき、東電は政府に「全員撤退したい」といってきた。政府は驚いた。現地に連絡すると、必死の作業で「水を入れた」というのだが、東京は発表しない。そこで翌未明、菅首相が本店に乗り込んだ。

 「腹をくくれ」「撤退したら終わりだ」と怒鳴り声が部屋の外まで聞こえたという、すでに伝えられた話と、ここでつながる。だが、新聞は「首相が怒ってはいけない」とか、「ヘリで飛んだのが対応を送らせた」とか。ついには国会でも取り上げられたが、話はずいぶんと違う。

 以上はいずれも、政府関係者の話となっている。だが、官邸周辺なら一般紙の記者がいくらでもいる。なのにこういう話が出てこないのは、とっかかりが違うのだろう。おそらく東芝筋である。

 記事によると、東芝は地震の直後から技術者がスタンバイしていた。東電の本店にも詰めていたのだが、廊下にいて部屋にも入れてもらえなかった。東芝首脳は「最も原発を知っているのは技術者、専門家だ。もっと早く手を打てたはずだ」といったという。

 実質原発を動かしているのはメーカーだ。水が切れたらどうなるかを、いちばんわかっていたのも彼らである。だが、本店は鈍感だった。齟齬は本店と現地との間にもあった。現地責任者は吉田昌郎・発電所長(執行役員)。その判断が事態を好転させたと、政府も東電内部でもいっているらしい。

 外部電源引き込みの配線作業は、自衛隊の放水のさなかだった。危険だと、放水中止をいう本店に対して、所長は「やる」と判断、結果的に成功した。このとき現場でも本店でも拍手が起きたそうだ。「彼がいなかったら、パニックになっていただろう」

 こうしてみると、新聞やテレビの報道は、記者会見のワクを出ていない。東電の裏に切り込むすべを知らない、というよりやろうともしないのではないかと疑いたくなる。本音を聞き出せるソースをもった、経済部記者の1人や2人いなかったのか。日刊紙が週刊誌に遅れをとるとは‥‥。

 報道のアナはまだあった。500人からいるという原発作業員の実態が見えないのも、腑に落ちないことだった。読売新聞が、日に2食で、大部屋でごろ寝をしながら、がんばっていると伝えた。「おい、明治時代じゃあるまいし」と、「原発哀史?」と書いたら、友人から文句のメールが来た。

 書き方が悪かったのか、彼らを馬鹿にしたように読めたらしい。一方で、小名浜港につけた海王丸が、作業員の入浴や休養施設になっているというのもあった。それでこそ当たり前だろう。ホテルを借り切ってもいいくらいだ。取材する方もされる方も、要はどこまで人間を見ているか、である。

 だが、作業の実態に踏み込んだ報道はなかった。と、TBS朝のワイド「朝ズバッ」に、元東電の社員というのが出てきた。彼は、「防護服というが、あれはナイロンの薄っぺらなもので、放射線を防ぐ機能はない」という。マスクをして手足を密閉しているのは、浮遊している放射性物質をとりこまないためだと。

 つまり、吸い込みによる体内被曝は避けられるが、放射線はそのまま受けている。線量計をつけるのはそのためで、警報がなったら退避する。しかし、被曝量は積算されるから、年間被曝量に達したら現場にはもう入れない。「今回のように汚染度が高いと、ベテランが次々に現場に入れなくなっている」と聞いて、初めて合点がいった。

 交代で短時間の作業をつなぐにしても、高濃度汚染の中ではますます作業時間が短くなる。働けない人もどんどん増える‥‥それは過酷だ。いい方は悪いが、被曝と引き換えに給料をもらっているようなものである。

 おまけに線量計が不足で、グループにひとつで作業しているなんて報道もあった。とくに地元の作業員に選択肢は少ない。多くは震災の被災者でもあり、家族は避難所暮らしだろう。いかに非常事態とはいえ、現代の「哀史」といいたくもなる。

 彼らなしでは原発もまた成り立たない。それが原発というものだと、今回初めてわかった。青い海と緑の芝生に囲まれた清潔な原子炉の建屋が並ぶ、あの「絶対に安全です」というPRパンフレットは、いったい何なのか。新聞は何を見てきたのか。

 元原発作業員という人たちの声が断片的にテレビに出る。茨城だったり埼玉だったり、避難所からだ。津波のあと、自分の判断で原発から退避した人たちである。「戻るべきか」と揺れながら、福島の動きをじっと注視している。

 その人間ドラマをもっと読みたい。東電の本当の顔も見たい。いまの事態が延々と続けば、人手は際限なく必要だ。作業員たちの終わらない日々を見届けたい。これに応えてくれるメディアは、はたしてあるのだろうか。